田中靖美は1970年代後半から80年代前半にかけて平沢進と共にMANDRAKE、P-MODELという時代的必然のプロジェクトを動かす重要人物であった。プログレからテクノにまたがるその才能は、特に80年代の初代P-MODELメンバーとして、曲作りにおいてもライブパフォーマンスにおいても、その独特の才能をしてP-MODELの核となる肖像作りに貢献した。

P-MODEL脱退後の40年以上、田中靖美は音楽活動から遠ざかり、南アジア界隈で自ら収集したエスニック工芸品を販売する会社を経営している。しかし、今回公開されるこれらの曲を聴き私はこう思った。

40年は、彼の音楽的使命を休ませてはいない。

若かりし頃の田中は、ある意味「間を埋めることの意義」の中で自身のオリジナリティーを磨いていった。休みなく展開される独特のフレーズ、そしてシンプルでありながら手元を見なければ気付かない複雑で繊細なコントロール系の操作を経て生まれるフレーズは驚異的であった。

それゆえ、この40年の年月と、インド亜大陸の熱風と、砂塵と、複雑な模様の反復と、騒音と、静寂が彼に何をしたか、私にはハッキリと分かる。それらは田中を「間」と「何もしない事」が宿す濃密な情報を扱う音曲師へと錬磨していたのだ。

彼は便宜上これらの作品をアンビエントと呼んでいる。勿論聴衆がそれをどう聴こうと自由だ。彼自身が制作したインド亜大陸の風景を読む動画のサントラとしても、あるいはちょっとスルドイ佇まいのカフェで聞き流すBGMであったとしても。そうであったとしても、時折視野の片隅に生じる小さなエアーポケットのような音楽の軽い躓きに出会う度、その時貴方の世界観に生じる微妙な窪みの美しさが、貴方の何かを知らずに回復してゆく光景が私には見える。

インド亜大陸は「もう一度仕事しろ」と、天才のケツを蹴った。

平沢 進